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2017/10/06 報道委員会の活動「報告 文化祭を振り返って」

桐蔭祭が終わって一週間ほど経ちました。

桐蔭祭、すなわち文化祭といえば、体育祭と並んで注目される大きな行事です。

体育祭はとてもわかりやすいものです。体育の、祭典。では、文化祭ではどうでしょう。文化の祭典…と一声に言っても、それが具体的に何なのか、と考えると、その答えを見つけ出すのは容易でないように感じます。このささやかな疑問を胸に、文化祭を振り返りたいと思います。

 

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私の所属する1年S組は「JKと青だぬき」というタイトルの劇をやっていました。タイトルからはなんとも気付きにくいですが、「美女と野獣」のパロディです。この劇、準備に少々てこずってしまい、本格的に作業に取り掛かったのがほぼ本番直前で、かなりの突貫工事が相次ぎました。中学生のときに高校見学で見た文化祭や、あるいはドラマやマンガで見るような文化祭は、なんとも明るく楽しいイメージを持っていました。しかし、実際に文化祭を行う側として触れてみると、実は楽しいばかりではなく、華やかな成功の陰には綿密な計画や互いの情報共有・連携が欠かせないのである、ということに気づかされました。

 

演劇部の公演のときにも、同様のことを考えました。私は、クラス劇の台本を書きつつもその裏では演劇部で行う劇のためセリフや動きを覚えていたのです。しかし、演劇というものはいつも団体戦であり、その特性ゆえにメンバーが一人でも欠けると練習がまともに行えないという大きな弱点をはらんでいます。そのため、様々な事情で文化祭直前の時期に演劇部全員集まっての練習が一度もできなかったことは、桐蔭祭当日をより多忙にしてしまった一因となりました。

 

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そして何より連携の重要性を教えてくれたのは、生徒会の活動でした。私は、クラス劇の台本を書きつつ、演劇部の劇の練習をしつつ、生徒会の一員として文化祭の運営・管理に携わっていたのです。生徒会の立場から文化祭をバックアップしながら、私は「縁の下の力もち」とはこのことを言うのではないかと、思っていました。前述の通り、私がかねがね昔から持っていた文化祭のイメージは非常に明るく楽しいものであり、そのヴィジョンの中には「ゴミ箱にゴミが溜まっていないか確認し捨てに行く人」であるとか、「ステージで華やかなライブをする団体を背に入口でスリッパを配布する人」であるとか、あるいは「ただ本部に待機しながら連絡を待つ人」はいませんでした。何せ、言ってしまえば「地味」なことなのですから。

しかし、実際にはそのような人がいなければ文化祭というものは成り立たないのであり、どんなに地味で、そこで尽力していることに誰一人気がついてくれなかったとしても、「皆様の笑顔」という成功のため、それをやり続ける人間がいつ何時でも必要なのです。

 

私はそのことに、「仕事」というものの本質を見たような気がしました。お客様のため、社会のため、国のため、世界のため、誰も気がついてくれなくても全力を尽くして取り組む。就業時間と個人の時間をはっきりと割り切る欧米の考え方とは一線を画す日本的な考え方ではありますが、一日本人たる私はやはりこの日本人の仕事の考え方は素晴らしいものだと感じます。

 

さて、ここで冒頭の問いに立ち返りましょう。文化の祭典とは、果たして何を意味するのか。私は、文化祭を体験してみて、これを「仕事の祭典」と呼び換えてもいいのではないか、と考えています。確かに、文化祭では芸術作品の展示や、音楽ライブ、劇など、文化的要素が多く取り入れられています。しかし同時に、その文化的要素を来てくださった皆様に届けるためには、様々な中継を経てお客様が受け取れる形式へ変換しなければならないということも同時に学べるのではないでしょうか。そしてこれは、世の中に存在する画家や音楽家、俳優、監督などの、文化的要素の生産者たちと、それを世に送り出しお客様へ届ける出版社やレコード会社などとの関係の縮図に近いのではないでしょうか。そういう意味では、確かに文化祭は最終的には「文化的要素の祭典」になるわけですが、その祭典を形づくる中で自然と「仕事の祭典」になっているように考えられるわけです。

ここまで長々と文化祭についての振り返りを書いてきましたが、文化祭のなんたるものかという答えの出たところで、一段落ということで締めさせていただきたいと思います。

今年度の桐蔭祭の成功を祝して、また、来年度のさらなる盛況を祈って、

成徳生、ファイト!!

文:報道委員 安仲  写真:報道委員 辻田 他

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