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「福岡伸一氏の寺子屋授業」を視聴して(自分を深める学習2年生進学コースでの授業)

投稿日2022/09/01

1学期に行った授業内容の一部を紹介します。 

 

上記番組内容は次の通りです。 

  • 世界遺産の寺、京都醍醐寺で行われた子どもたち(小学生)の学びの場「令和の寺子屋」。講師は生物学者の福岡伸一。醍醐寺は豊臣秀吉が花見をしたことで知られるが、福岡氏は秀吉のうんちが巡りめぐって子どもたちの体の一部になっていると言う。数百年にわたる生命の連鎖の不思議。そしてあらゆる生物にはなぜ死が訪れるのかという根本的な問いかけを子どもたちと考える。
  • 宇宙の全ては、エントロピー増大の法則に従う子どもたちが難問(答えは1つだけではない)に一生懸命向き合うところも素晴らしかったけど、福岡氏の考えが凝縮された言葉、それは死は利他的である。死ぬことは命をつなぐこと
  • 消化管の細胞は 2−3 日で入れ替わる(体内で最も速いサイクル)。うんこの何割かは、消化管からはがれた古い細胞。そのうんこは土中で次々と分解され、誰かの栄養になり、新たな生命体を育む源となる。(人間もまた、それらを食べている) 食べたものの分子は全身の細胞に行き渡り、入れ替わりで古い細胞の分子が排出される。(ラットの実験が紹介されていた)

・生命体において、分解と再生のスピードのバランスがとれる=生きている 動的平衡 

・分解の方が早い=再生できなくなる ーーーー>> 死ぬ 死は利他的である。他のだれかの命を生かす。なにかが死ぬから次の生物が生きていく。それで地球はまわっている。死ぬことは命をつなぐこと 

 

 

それを受けた生徒の感想が以下の通りです。(抜粋) 

 

全ては壊れる方向に進んでいくというのがなんだか悲しいなと思いました。動的平衡の分解と合成のバランスが悪くなるのも悲しい、分解の速さに合成の速度間に合ってほしい。死ぬことが食物連鎖を支えていて、他の命を助けることにつながっているというのを聞いて、死ぬのが少し嫌じゃ無くなりました。 

エントロピーの増大と動的平行によって秩序や分解と合成のバランスが保たれているから生命がつながっている。また死ぬことは利他であり、誰かが死ぬから誰かが生きられる。命が繋がっているのだということを学べました。 

死は利他的である。他のだれかの命を生かす。なにかが死ぬから次の生物が生きて いく。それで地球はまわっている。死ぬことは命をつなぐこと。という言葉を聞いてウッドジョブを思い出しました。これからの未来のためを思うことは大切なことだと感じました。 

死ぬということは人を悲しませちゃったりするとずっと思っていましたが、それ以外にも他のことにもとても役立っているということを動画で学ぶことが出来ました。自分の要らなくなった物が出てそれが誰かの栄養になるということはほんとに初めて知って驚きもありましたが、そうなんだあとすごく関心しました。死ぬことには意味があるということを知ることが出来て良かったです。 

私たちが生きてることには意味がある。けれど死ぬことにも意味があると言うことがわかった。死ぬことは誰もが辛いことでただ死んでしまうだけだと思っていたが、誰かが死ぬことで新しい命の助けになっている。映像の中のタイトルのようなものが秀吉のうんちが巡りめぐって体の一部になっているという事だった。最初はうんこ?と疑問だったがよく見たり考えてみるとそのタイトルの意味がわかったような気がしました。決して人が死ぬことはただ死んだだけじゃないことそれを頭に入れたいと思いました。 

生命は死ぬことがなければ循環せずに新しい生命の誕生は無いことがわかった、人生は残酷なようで後世の宝になるとわかった 

 

エントロピーの増大というのは宇宙全てのものが従うものと言っておりその中で「死は利他的である」という何かが死んで次の生物が生きるという考えに最初はなんとも思わなかったがこの映像を見て全てを理解したわけではないけれどなんとなくわかったような気がしました。 

いつか自分も死ぬというのは、怖いし嫌だなと誰しも思うと思う。自分が死ぬことは次の命を生むことになると言っても、上手く想像は出来ない。でもいつか理解出来る瞬間がくればいいなと思う。 

死ぬという言葉は悪い意味や悲しい事の方が多いいけど死ぬことに寄って救われたり、助かったりする人が世界のどこかには居るんだと思いました。もし死ぬことがなかったら新しい人たちは生まれこないだろうし、生まれて来ても人が多すぎて食料や住処が無く今のような生活はおくれないと思いました。死ぬのは必ずしも悪い事ばかりでは無いと思いました。 

今自分が生きているということは過去の人間達が繋いでくれた命であることが今回の授業で知ることができた授業で知ることができた。エントロピーの増大は自分もいつかは崩れていくことと繋がり、寂しいことではあるがそれはこの世界を繋いでいること思うと不思議な感じがするがとても面白いことだと思えた。 

今回動画を見て死ぬことは悲しいことだけど、栄養になって食物連鎖して命を繋いでいっているんだとわかりました。分解と合成によって生きていることを初めて知りました。合成できなければ死んでしまうことを考えたことも無かったので知ることができてよかったです。自分もいつか死んでしまうかもしれないしとても死ぬことは怖いけどこういうことを知ることができたので怖いことは変わらないけど誰かのため死ぬだと思うと少しだけ和らぐと思うので、このことを忘れずに生きていきたいと思います。 

寺子屋を見て秀吉の一部が体になっているのは初めて聞いたしなんでそうなるんだろうとも思った。生きてれば命が繋がることはあるからこの人が言っている死ぬことは命を繋ぐ事というのはあってるなあと思った。死は利他的というのはよくわかんないけどその人にとってはいい言葉なんだなと思う。みんなで虫を探して色々なことを考えていたのはすごくいいことだなと思った。 

普段何気なく生活している自分が些細なことに目を向けると新しい発見があることにとても面白みを感じました。なんでヒトは老化していくのかとか詳しく調べてみないとわからないようなことにも着目して話していたのでとても為になりました。僕達よりも小さな子供達が自分の体について話し合う、疑問をぶつけ合う、僕もなんでだろうと疑問に思ったことは追求して調べていきたいと思います。命は一回きりしかないので楽しんで過ごしていきたいです。 

この前、ビデオを見てみてとても小学生と思えないくらいよく考えていてすごいと思った。もし、自分が死んだときのことを考えてみて誰かの役に本当にたてるのかなと考えてみて自分としてはちょっと違うんではないかなと思いました。死んでしまうと存在がいなくなったようになってしまうし、誰だって仲の良い友達などが死んでしまったら悲しいとおもうのでやっぱり死んでしまうことが意味するっていうのは違うと思いました。 

形あるものがいつか壊れてしまうことと同じように、人の命にも終わりがあります。しかし、死ぬことによって全てが無くなってしまうわけではなく、未来へ循環されているという考えに共感することができました。それは自分自身の合成したものだけではなく、形のないものまで様々だと思います。今の私たちも過去のおかげで成り立っていると感じることが多くあります。死ぬことを恐れて生きるだけではなく、今の自分が未来に繋がっていくのだとプラスに考えて生きていきたいと思いました。 

どのような生き物が死んでも全く自分には関係ないと思ってたけど、今回の映像を見て何かしらの形で今の時代の自分達に繋がっていることがわかった。 

今回の生命に関する映像を見て偉人のうんちなどが自分たちの体の一部になっていると言っていた自分が死んだ後も受け継がれていくことなんだと思った。一生とか永遠とかそんなことがないのは自分も理解しているけどいつかは死ぬって考えると今が楽しいから怖いと思う。秩序が無秩序になるから死ぬ。でも80年90年生きられるのは合成、分解ができているからと言っていてヒトは深いと思った。今回の映像を見ていずれ死ぬから今を楽しんでいこうと思った。 

福岡さんのいうエントロピーの増大について聞き命がなくなるのはしょうがないことだと思っただからこれから意味のある人生をおくっていきたい 

自分が死ぬことで誰かの命を繋いでいるとは考えたことなかったです。自分も誰かが死んだことで命がつながっているのだと思いました。でも、私は自分を犠牲にしてまで他人の幸福や利益のために尽くすということはあまり共感できなかったです。 

生命について、福岡伸一さんが言っていたエントロピーの増大はとてもこの世を簡単に表していて、納得してしまった。生命はいつか無くなり死にゆく秩序があるが、死と言う秩序もエントロピーの増大でいつか無くなるのではと思った。 

利他としての命 誰かが死ぬ時には必ず悲しむ人が付き物だから誰かのために死ぬという感じは良くないと思う。例えば電球を作ったエジソンは今の生活に必要不可欠な物を作って亡くなっている。要するに、一人一人が時代に名前を残せる訳では無いけど、次の時代に繋がるようなことをしながら生きて、死ぬ時にまたそれを誰かに繋いで貰えれば利他の生命という言葉を使わなくて済むと思う。 

 

福岡伸一さんが答えのない問題に対して子供たちと一緒になって考えて、自分自身も夢中になりました。生命は昔から繋がっていることに驚き、命の繋がりを感じました。生命にはたくさんの不思議があることがわかりました。 

僕は、生命は終わりがあるけど完成はないものだと思った。生きていく中で失うものや得るものによって変化はするが、完成はしない。それを生きているうちに理想の自分になるために変化し続ける。だから生きるのは楽しいんだと思う。 

今まで自分の出会ったことのない考え方だった。秩序のあるものは崩壊にしか進まないというのものために生命はあえて崩壊し続けることで生きているということを知って驚きました。細胞を壊すスピードが時間の流れに追いつかなくなることで死を迎えるということはなんだか不思議な感じがします。 

この前の動画を見て生命について学んだ。生命は、ものではなく現象ということバランスや動きにつながってくる。大事ということがわかった 

 

 

※まとめ 

担当クラスの感想(抜粋)を載せました。誤字脱字そのままで載せています。 

キーワードは「エントロピーの増大」「動的平衡」「死は利他的で死ぬことは命をつなぐこと」でした。 

番組は「生物にはなぜ死が訪れるのか?」という難題を小学生にぶつけます。それを各児童が家庭に持ち帰り、家族とも相談しながら回答を出して翌日発表するという流れでした。最後に福岡氏が「上記3点」を実験やパワーポイントを駆使して小学生に説明します。最大のポイントは「死に意味があるのか?」という難問です。 

大きな流れ・循環の中での死=一般論としての死」が利他的側面をもつことに対しては本校生徒の視聴感想からみて、理解できているように思います。しかし、自分自身の問題としてはどうでしょうか?自分の死・親しい人の死を「利他的」と素直に認められるのでしょうか?それは極めて難しいことを、生徒の感想からみてとれます。私自身も、「心から十分に納得するのは相当怪しいものです・・・。 

しかし、この番組を見て「死」について学び、考え、感じることによって、「今、ここに生きていることの意味は何か?」という問いに向かおうとしている生徒もいることが、今回の感想の中に散見されました。 

この事実からを学ぶことはを学ぶことである」というデス・エデュケーションの意味が見出されます。 

小学生でさえも、この難しい命の授業に対して真剣に取り組んでいました。「死」を扱う授業は兎角タブー視されることが多いのですが、決して避けるべきではないテーマであることがわかります。 

「自分を深める学習」のテキスト(研究会代表安達征勝氏作成)の表紙には次の副題(サブテーマ)があります 

 

~自分を好きになり、 

自信をもって生き、 

そして死ぬために 

 

今頃になって私は、その意味が少々理解できたようです 

東京成徳大学高等学校 野中修也