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2019年6月 1年生 個々の命とおおもとの命(6/18)

投稿日2019/06/18

1年生は「葉っぱのフレディ(作:レオ・バスカーリア 訳:みらい なな)」という作品を扱います。

読んだことがあるという保護者のみなさんもたくさんいらっしゃると思います。

 

 

「この木も死ぬの?」

「いつかは死ぬさ。でも『いのち』は永遠に生きているのだよ。」とダニエルは答えました。

葉っぱも死ぬ。木も死ぬ。そうなると春に生まれて冬に死んでしまうフレディの一生にはどういう意味があるというのでしょう。

「ねえ ダニエル。ぼくは生まれてきてよかったのだろうか。」とフレディはたずねました。

 

葉っぱ1枚1枚は1年経つと枯れて散っていきますが、木は1年ごとに枯れるわけではありません。

でも、その木も何百年か経つと枯れてしまいます。

しかし、木が枯れるから木がなくなるわけではありません。

「いのち」は永遠に続くのです。

 

 

個々の命はいづれ尽きてしまいますが

「おおもとの命」とでもいうべきものは永遠に続く、ということではないでしょうか。

個々の命は、その「おおもとの命」に戻り、またそこから新たな個々が生まれてくると考えれば

フレディの一生は決して無駄なものではなく、大事な役割がある存在だと思えてきます。

個々の命が尽きることは確かに悲しいことですが

個々の命は尽きるからこそ、命ある間にその大事な役割を一生懸命に行う必要があるのだと

この絵本は教えてくれているように思います。

そして、すべての個々の命は「おおもとの命」から生まれてそこに戻るのならば

1つ1つは「つながっている」と言えるのではないでしょうか。

 

そのようなことを考えてみて感想を書いてもらいました。

 

・いのちは姿、形が違くても誰にでもあるものであって、たとえなくなったとしても命はみんな同じでいつかは終わりが来る。しかし、おおもとの命が存在し、命を持つものは全てそれがあるのだと聞き、確かに命はなくなってもどこかで生き続けているのだと思いました。そう思うと姿、形が違くたって、同じもののように思えてきました。

 

・死ぬことは怖いけど、おおもとの命になるなら安心感みたいなものができた。よくわからないけど、おおもとの命として命はまとまってあるなら、今ある個々の命で自分らしいことをしたいと思った。命がどういうのかやっぱりあまりわからなかった。

 

・僕は最初に、「死ぬ」と「『いのち』は永遠」の区別がわかりませんでした。でも水滴の話を聞いた後、「個々の命」と「おおもとの命」の違いについて納得しました。この地球にいる生物が38億年かけて進化し続けて私たち人間になったのはとてもすごいことだと思いました。やはり「命」って不思議だなと思いました。

 

・いのちが途切れたことがないから永遠というのは間違ってないと思う。みんなが同じところから生まれて同じところに帰るってことは、みんながつながっているということだと思った。いのちは循環していると思った。

 

 

覚えていれば命は永遠だ、という感想は毎年出るのです。

もちろんそういった心情的なことも大切です。

しかし、ここで言っていることはそういうことではないのです。

 

幼いころから塾通いやスポーツの世界で育ってきた現代っ子の生徒他諸君には

無意識のうちに「自分が、自分が」という傾向があるかもしれません。

あるいは「仲間」を大事にはするものの

それが「自分の身近にいる直接かかわりがあるものだけ」になっていることもあるかもしれません。

 

でも、こういったお話を読むことで

結局みんな同じなんじゃないか、という考え方もあることを知れば

今後の生活で何かが変わってくるかもしれません。

 

 

これをお読みの保護者のみなさんも

昔を懐かしんでもう一度「葉っぱのフレディ」を手に取ってみてはいかがでしょうか。

そして、是非、お子さんに感想を聞いてみてください。

 

自分を深める学習 1年A組担当:神田上巳