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2018年11月 1・2年生 働くこと (11/12)

投稿日2018/11/12

1年生も2年生も2学期は働くことについて授業を展開してきました。

こちらをご参照ください)

 

1年生には「働くとはどのようなことだと思うか」尋ねてみました。

 

・職業に就くとしたら、自分が苦しんでもいいと思えるものに就きたいと思う。職業とは本来、働いていない時間を上手く過ごすか楽しく過ごすかというのが前提にあって、そう考えていくと日本人というものは働くために生きているようで少し異常であるように感じる。しかし僕は、その働いていない時間のみを意識して生きるのは難しいと思う。だからこそ苦しんでも、その中でも楽しいと思えるものがあればその仕事に就きたいと思う。休みの日にはもちろん仕事を考えずに楽に過ごしたい。「仕事したくない」と笑いながら、なぜかそれなりに楽しみながら仕事をしてみたい。人の笑顔というか、人が何かを見て楽しめると思うような仕事に就きたい。自分がそのような存在や作品にずっと助けられてきた。だから作品を残す仕事もいいし、作品をプロデュースしたり、それを形にしたり、要はそれと関わりのある仕事がしたい。そしてその存在に自分なりの恩返しができたらいいと思う。

 

・僕は職業は人の役に立つためのもの、そして、自分が幸せになるためのものだと思います。よく「給料もらうためには仕方ない」と聞くことがあるけど、それじゃあ仕事をしている意味はないと思います。自分のためではなく誰かのためにやるからやりがいがあるんじゃないかなと思いました。また、3つの映像を観て思ったことは、お金のため以外で何か目標を持って仕事している人は、何か輝いて見えたし、逆にお金のためだけの人はそう見えなかったなと感じています。そして自分が職業を選ぶ時は自分の中で何か大きな目標が持てる職業に就きたいなと思いました。

 

・何かしらどこかしらで人の役に立つものであり、人生を送る上で必要なものだと思います。人の役に立つということは人から必要とされること。人生を送る上で、ご飯を食べる為にも生きがいを感じる為にも仕事に就くことが大切かなと感じました。仕事に生きがいを感じなければ継続は難しいことをVTRを見て思いました。私は、自分の好きなもの関連に就くと、より生きがいを感じやすいと考えます。生きがいを感じやすい上に継続もしやすい。でも職業によっては、それだけではご飯を食べることが難しいこともあるというのが難しいところだなと思います。お金を取るか生きがいをとるか・・・。生きがい(やりがい)は仕事に就いてからも感じることができると思います。一生懸命やった先で何か生きがいができるかもしれない。でもお金はそうでもないと思います。なので私は安定したお金が得られることを条件にしつつ、興味・関心のある分野に就くのが最善かなと思います。理想は自分の好きなこと、本当にやりたいことで生活を送れることです。

 

・まずはお金をもらうために働くと思います。お給料のために毎日仕事をするのだと思います。でもお金だけでなく、自分を認めてもらえる職業に就きたいと私は思います。仕事をしていく中で、上の人から任されたり、後輩から頼られたり、自分がいる意味がある仕事をできたらいいなと思います。

 

・私が今回3つの映像を観て思ったことは「今、自分がすることが世の役に立っている」ということを頭にしっかり入れながら仕事をする心がけを忘れずに仕事をしたい、ということです。私の父は普段お給料の話とかは一切なく、正直何故父がその仕事をしているのか分からない時期がありました。ある時、気になって聞いてみたら、父は「人を救う事こそがお父さんにとって一番の幸せ」と答えていて、父は常にやる気があり活気にあふれている人で、やはり仕事は「やる気」も必要なのだなぁと改めて実感しました。やる気があるからこそその仕事を楽しむことができ、天職になると私は思います。「人の役に立っている」ということを忘れずに生きることで自分の生きる意味も見えてくるし仕事も頑張れると思うので、私が仕事で大切にすることは「他人のことを考えて行動する心がけを忘れない」ということです。私も「人の役に立てる、必要とされる仕事」に就きたいです。

 

毎年1年生の感想には

「やりがいがある仕事をやりたい」

「人の役に立つ仕事をしたい」

「自分が好きなことをしたい」

といった感想が書かれますが、最近はそれに加えて

「安定した収入」ということを書く生徒が増えてきたように思います。

世の中についてまだまだ無知ではあれど

肌で感じることはあるようです。

 

 

2年生には、映像を視聴した後に養老孟司さんが自身の著書『超バカの壁』で、若者に向けて自身の「仕事論」を語っている部分を引用して紹介しました。(ここでは養老さんは、「自分に合った仕事がない」と言ってなかなか働かないニートの人を念頭に話を進めています)

そして、職業というものをどう考えるようになったかを書いてもらいました。

 

・今回の自分深めで、職業とはできるかできないかを前提に決めるものではない、ということをしかと考えるようになりました。世間をまだ知らない子供は、憧れで完全に満たされた将来の夢を持つはずです。しかし身体的かつ精神的に成長していくと、辛さや苦しさなどストレスに関わる要素を必然的に覚えてしまいます。この頃からなのでしょう。将来は少しでも苦痛を和らげようと考えるのは。そうして少しでも楽をしたいと、自分の得手不得手に合わせて将来を見つめるようになり、また、好きな職業に就けた人を知ると「うらやましい」だけでなく「自分もいつか自分に向いた職を手に入れなくては」とも思ってしまう。だから仕事の本質に気づくことなく過ごしてしまい、その仕事の中で自分のいる意味を見失ってしまう・・・。それに対し、自分深めの映像で観てきた様々な職業に就いている人達は、その職と自分自身とを重ね合わせ、向き不向きを問わずに勤められちぇいる様に思えます。「好きな職業に就けているから」という理由付けができそうですが、その「好き」というのはおそらく先天的というより後天的寄りのものです。仕事における苦労を飲み込むうちに、そこでの自分の役目、流儀を発見し、だからこそ「その仕事が自分に合う」ようになる。大事なのは、どの職業に就きそうになっても、一度全力で取り組み、その下での自分を見つけることなんだ、と私は感じます。私には就きたいと考えている職業があります。熱意は生温いものではないと自分では思っていますが、仮にその職に就けたとしてもとても上手くこなしていける保証は全くありません。ですが、その環境でもすぐに屈することはせず、その職の仕事をしている自分を見つめ、どうしていくのかを判断していきたい気持ちです。

 

・すごく難しく考えなくてもいいのかなと思った。社会人としてあるべき姿、これくらい稼いでこれくらいの生活をしてこんな風に生きることが普通、模範。そういうイメージばかりが先行して、少し大人になることが怖かったけど、案外大抵のことは何とかなるのかなと思った。果てしない努力は必要だし、あきらめなくちゃいけないこともいくつかあるけど、まぁそれでも人とつながったまま何とか生きていけるのかな。私の思っているよりも楽なのかな?でも難しく考えておいたほうが得かな~。職業って何なんだろう。責任がずっとついてまわるの嫌だなぁ。

 

・今、自分の付きたい職業に就くことさえできれば、自分は楽に生活できると思っていた。職業は就くまでのみが大変であると思っていた。しかし多くの映像を観て就職してからの苦労を知った。また、その職業をやりたいという気持ちだけでは成り立たず、自分から行動する力、そして向上心を持っていることが自分の仕事を味方につけることだと思った。「自分に合った仕事なんかない」という言葉を読んで、自分がその仕事に寄り添って努力することが大切だと思った。また、就きたい職業へ向かっての努力もしていきたいと感じた。

 

・今日の、近代化も完遂に近づいているこの時代において、職業の選択=人生の選択という相互関係はあまり良い概念とは言えない。様々な職種が誕生し、日本古来の財閥の流れをくむ大企業や外資の大手企業もあれば、中小企業であったりベンチャー企業と呼ばれる企業も多くある。「終身雇用」や「会社は家族」といった包括的な会社経営を行っている企業はもはや少ないであろう。経団連の就活ルール改正や「就職氷河期」と呼ばれる今、実力主義が多く根付いている。つまり自分の好みで職業を選び、結果を残せないと実力主義というイデオロギーにおいてははじかれる。実力主義に順応し、そういった社会で活躍するためには、向上心と、失敗を恐れず、むしろ若いうちにたくさん失敗をして、成長することが不可欠である。職業は養老さんの意見のように、仕事に我々が順応するものだと思う。自分のための社会ではなく、社会のための自分であると考えれば、自分の好みや向いた職業といった観点だけで社会に貢献できない職業に就いてしまえば、エゴイズムの典型であり事故の破滅も招きかねない。順応するためにも、多くの教養を身に着け、臨機応変な思考を持った人になることが求められている。

 

・「働く」ということは社会の歯車になって、他人と統一化されるようなイメージがあったが、自深を通して他人のつながりを強く深く感じた。今日の文を読んで、自分が好きな職業に就くのではなく、自分でその職業の中に魅力など見つけることが大事だと思った。また、職場選びは慎重にやるべき。職業とは社会においての自分の存在地だと考える。

 

・今まさに自分に合った職業は何だろうと考えていて、考えるほどに自分がやりたいことが分からなくなってきて自分自身を見失いかけている。そんな中、今回職業に関する映像を観て、天職を見つけた人は、案外始めたころは大変な苦労や葛藤を経験していて、一度は挫折した人も少なくないことを知った。だからこそ、長老さんの最後の、趣味は趣味であるから楽しんでいられる、ある程度無責任だからこそ重荷になることなく楽しめる、という言葉にもピンときた。私は小学校低学年からずっと続けている趣味があるが、それはこの先本格的にモノにするつもりはなく、あくまで趣味だからこそ続いているのだと感じる。私は職業とは、自分自身でやりがいを見出すことで生まれるものだと思う。

 

・自分がやっていることにやりがいを持つということは職業以外にも共通して言えることだと思います。それを見出せるか出せないかが1つの運命の分かれ目になるのだと思います。僕も最初は英語が嫌いでした。「俺、ずっと日本で暮らすのに、なんで英語なんか勉強するんだよ」と逃げてサボっていた時もありました。ただ、その中で嫌々でも少しずつ勉強して段々と理解できていくうちに、その「分かってる」という自分に充実感を持ててなんだか楽しくなってきたのです。少し本題からズレましたが、今回の学習を通して、僕は、続けてこそわかるもの、の本質をより深く理解できたような気がします。

 

2年生になると職業そのものというよりも

職業に向き合う姿勢、といったことに目を向け始めています。

 

「仕事とは自分の側にあるのではなく社会の側にあるもの」と養老猛司さんは言っています。

だから「自分に合った仕事」があるのではない、と。

与えられた仕事の中で苦労や工夫を凝らしながら一生懸命に取り組んでいくうちに

仕事が自分を成長させてくれるのです。

 

自分は仕事にどう向き合っているか。

ルーティンをこなすことだけで満足していないか。

私たちも自分のことを振り返り、見直さなければならないなと感じます。

生徒諸君は私たち大人の仕事に向き合う姿を見つめています。

 

ご家庭でこのような話をするのは照れ臭いのかもしれませんが

是非、お父さんの仕事観、お母さんの流儀などを話題にしていただけると

とても嬉しく思います。

 

自分を深める学習 1年F,G組 2年J,S組担当:神田上巳