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2020年2月 1年生 本当の自分とは? その2 (2/6)

投稿日2020/02/06

先週、NHKの番組「Q~わたしの思考探求~」の「自分とは何か」の回を視聴し

哲学者:鷲田清一×モデル:冨永愛の対談で取り上げられた

人間をタマネギに例えた部分を取り上げてみんなで考えました。

(前回の記事はこちらをどうぞ)

 

それに続いて今週は

「バカの壁(養老孟司)」、「日々之修行(佐々木閑)」から

それぞれ一部を抜粋してみました。

 

それぞれの内容は

web上で諸先輩方がいろいろな解説をしていらっしゃいますので

ここでは割愛しますが

大まかに言うと「自分は自分、ではない」といったことを

それぞれの視点から述べている部分です。

 

先週の話では

「タマネギの皮をむくように人間から1枚1枚むいていくと

 芯(=本当の自分)は残らないのではないか」

と言われ

今週は「自分は自分、ではない」

と言われ

生徒諸君も面食らったと思います。

 

「本当の自分がどこかにあると思っていたが、それは幻想だ」

「私は私だと思っていたが、それも違う」

 

そんなこと言われても

今、自分はここにいて

他の誰かと入れ替わることもできないのだから

一体どういうことなんだ

と当然思うはずです

 

・私は養老さんや佐々木さんとは違い、固定的な自分は存在し、なおかつ不変のものであると思います。人は年をとると見た目やものの見方などが変わってはいますが、それが本当に「自分」が変わっているかと言われると、変わっていないと思います。人が年を重ねるたんびに変わっているのは、変化ではなく私は進化だと思っています。なので、固定的な自分は存在していると思いました。

 

・バカの壁や日々之修行を読んで改めて考えてみると、確かに自分はないのではないかと思う。「自分ではわからなくても、人は誰でも必ず何かしらの変化をし続ける」。しかしその自分たちの考えを固定するから、私たちの「私は私」という考えが固定的になってしまい、それがずっと続いていってしまうのではないかと考えた。

 

・私はこの話を聞いて、確かに細かい時間だと変化はわからないけど、1年経つと好き嫌いが変わったり、できることが増えたりなど変化があります。この変化を「自分」と言えば「自分」だけど、「別人」と言えば「別人」です。ほんの少しの時間でも感情は変わっているので、人間という生き物は常に変わり続けているのかなと思いました。

 

・養老さんや佐々木さんの意見を聞き、2人の言う通り固定的な自分はない、確かにそれもその通りだと思う。自分の皮を一枚一枚剥がしてみたら何も残らないのではないか、でも僕はその中にも自分にしかできないことだったり、無意識のうちに行なってしまうことや言葉があり、僕はそれが固定的な自分だと思う。だから僕は固定的な自分はあると思う。

 

・私は固定的な自分はないと思う。養老さんの、「昨日と今日の自分は別人だし、去年の『私』と今年の『私』も別人のはずだ。人は変化し続けている。」という部分に共感した。全く同じ「自分」なんて存在しないと思うし、日によって考えることなど違ってくると思う。毎日同じ生活を送っているわけでもないし、関わる人などによっても変わってくると思う。自分で昨日の自分と同じだと思うこともないし、1秒1秒自分は変化していくものなのかなと、今回の授業で思った。

 

 

 

色々と思うようです。

難しい問いかけに、わからないながらも一生懸命に考えています。

 

高校1年生に哲学的な問題に答えがわかるはずはありません。

もちろん、授業をしている私たちにもわかるものではありません。

 

 

ではなぜそんなことを考えるのか。

考えても答えがわからないのに

どうしてそんなことを考える必要があるのか。

 

 

生徒諸君は、学校で授業中に頭を使って考えている、と思うと思います。

高校生の授業内容ですから、中学時代よりも頭を使うことも増えているでしょう。

 

しかし、「考える」とは、どういうことでしょうか。

 

数学や物理の問題の答えを「見つける」ことでしょうか。

英語の文章の意味を日本語にした場合どうするとよいか

最適な日本語を「探す」ことでしょうか。

 

生徒諸君が授業中に行っている「考える」は

用意されている正解を「見つける」ことだとは言えないでしょうか。

 

 

しかし、私たちの生活の中で抱える問題は

常に正解があるものではありません。

むしろ正解がないからこそ問題なのでしょう。

それを、正解がないからと言って考えないわけにはいきません。

つまり、正解を見つけたら思考を止めてよいのではなく

正解がないからこそ何度も何度も考えて

頭の中を思考が堂々巡りをする時間を何時間も過ごして少しずつ問題の解決に向かう

途中で投げ出すわけにもいかない問題に対して、しぶとく考え続ける

こういう頭の使い方がこれからの社会を担う若者たちには必ず必要になるのです。

 

 

「自分を深める学習」のような時間にそういう頭の使い方を覚え

自分の生活のふとした瞬間に「あれ」と思うことを見逃さずに考えてみる

そのような若者になってほしいと思います。

 

自分を深める学習 1年A組担当:神田上巳