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2019年2月 1年生 生徒の感想 (2/6)

投稿日2019/02/06

前回、前々回の報告にもありました「わたしの思考探究~自分とは何か~」を視聴しました。

哲学者:鷲田清一×モデル:富永愛の対談の映像です。

対談中で、自分を玉ねぎに例える話があります。

 

「玉ねぎの皮をむくように、自分を形成しているものを1つずつはがしていくと

最後に芯のようなものが残って、それが本当の自分なんだと思っているかもしれないが

実は芯は残らないのではないか。

つまり、本当の自分があるはずだと幻想を抱いているだけなのではないか。」

 

これについてどう思うか書いてもらいました。

一部を紹介いたしましょう。

 

・自分は玉ねぎに例えて皮を1枚ずつ剥いでいくと最後に芯、つまり本当の自分が残ると思っていたが、鷲田さんの話を聞いて本当の自分はないのではないかと考えが変わった。自分というのは、親、友達、先生など、周りの人の影響をものすごく受けていて、成長していく上で考え方や価値観が変わっていった。もし本当の自分が芯としてあるなら、成長していっても根底にある考え方や価値観があまり変わらないと思う。

 

・鷲田先生のおっしゃることに納得できる部分がいくつかありました。「自分」というものを考える時に思い浮かぶ自分というのは、たいてい「人から見た私」であって、それを基に自分とはこういう人間であって、こうしなければならないと思うから「自分」とはこうなのでは、という考えが浮かぶのだと思いました。もしこの世界に私以外の人間がいなければ、人から私はこうだ、あのようだ、と言われることもなく、「自分」というものを考えることすらもせず、ただただ1人の人間としてあるだけではないのか、と思います。

 

・自分を玉ねぎとして考えて、皮を剥いていくと芯が残るのか。残らない場合は我々は幻想を抱いているところから、自分は他の人にとっては自分を認めてくれる存在であり、複数の他者を持つことが大事だと言われていました。ですがそれを聞いてあなたはどう思うかと言われても、言っていることは理解できるのに、いざ考えてみるとなると非常に難しいと感じられました。自分も他の大多数の人と同じように、皮を剥げばいつかは芯が残ると思っていましたが、残らない場合はどうするの?と、根底からひっくり返されるようなことを投げられても、これまでそう思って生きてきた分がありますから、とても複雑で、どう考えようと一生をかけても分からないように思えました。

 

・私は今までずっと本当の自分という芯の部分があると思い込んでいました。しかし、実際にはないのかもしれないとも思えました。なぜなら、玉ねぎの様に皮一枚一枚が自分を必要としてくれる他者であり、その皮がたくさんかぶさることで自分という存在を形成してくれていると思えたからです。しかし、これは自分だけに言えることではなく他者にも言えることなので、自分も周りの人にとって他者を形成する皮の一枚であるような人間でありたいです。

 

・最後に芯は残ると思う。人は誰一人同じ人はいない。それは玉ねぎに例えたときと、皮が人と違うからではなくて、中身の芯から違うからそう言えるのではないかと思った。芯の形が違うから周りの皮の形が変わってくるのではないか。芯の形が同じだと、全てとは言わないが、全く同じタマネギができてしまうのではないかと思った。

 

・このことについてはとても難しいと思う。自分というものはあるか、ないかは分からないけど、私はあってほしいと思う。もし自分が他者にとっての他者なら、他者のために自分がいるようで、それは違う気がした。自分というものは自分のためでもいいと思う。

 

 

また、対談の中で

「自分は他者にとっての他者でもある。だから複数の他者を持つことが大事だ。」

という話も出てきました。

 

・鷲田さんの言う通りだと思います。友達や家族が自分の存在を認めてくれることで自分は成り立っていると思う。なので、複数の人の他者を持つことが大切だと思う。他者にとって自分はどんな存在なのか、またその存在を感じることで自分の生きる意味や価値が見えてくるのではないかと思った。なので自分も他の人にとって価値のある人間になりたいです。

 

・私は最初、自分を玉ねぎに例えて皮を1枚ずつ剥いでいくと最後に本当の自分が残ると思っていました。でも今回の対談を聞いて考えたとき、確かに本当の自分とは何かと聞かれたら答えられないなとも思いました。鷲田清一さんがおっしゃっていた、自分は他者にとっての他者であるということ、だから複数の他者を持つことが大事だということ。本当の自分とは1つではなくたくさんあると思います。その自分を構成する上で必要なものなのではないかと考えました。

 

・私が他者を他者と思っているように、他者も私を他者と思っているという当たり前の事実をあまり意識していなかったので新鮮でした。私は確かに友達などの他者がいなくなると不安でしょうがなくなるし、ありがとうと言われたときなど役に立てたら自分の存在を自分で認められるので、他者の存在は大きいしとても必要なものだと思う。逆に私も他者にとっての他者なのだから、他者が他者の存在を認めさせることのできる人になれるんだと思うと、お互いに生きていく意味を持つことができるという安心と責任を感じた。

 

 

何をどう書いていいのかわからずに鉛筆が止まるものもたくさんいましたが

感じることはこちらの思う以上にあるようです。

 

 

時間をかけて一生懸命考えて書いたものは

次の時間までにクラス全員分の一字一句欠けていないものを

無記名でプリントにまとめ全員に配布します。

 

1枚のプリントの裏表に収めるために行間を詰め文字を小さくするのですが

それでも多くの者が配布と同時に食い入るように読み始めるのです。

他の人の感じたことを知りたいのは

自分でも一生懸命考えたからなのでしょう。

 

 

保護者のみなさんも、是非お子さんにどう感じたのか聞いてみてください。

大人の私たちでも、はっとさせられる言葉が飛び出してくるかもしれません。

 

 

自分を深める学習 1年F,G組担当:神田上巳