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2016年07月12日 伸ばすメソッド

2016年6月

2年
「命のつながり?」
自分の周りには様々なつながりがある。身近なつながりから少し遠いつながりまで、広い視野で見られることが大人への一歩となる。今月は「葉っぱのフレディ」を読んで自然とのつながりを、「生物多様性」のVTRを視聴して考えた。
夏の戸隠校外学習でも大自然の中で自分と様々なつながりについて考える。

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3年
「死って?」について考えてみた。身近なテーマではないが「象の背中」を使って授業は展開され、生徒達には「死」について深く考えるきっかけとなったようだ。
さらに続いて「生きるって?」について谷川俊太郎「生きる」という詩を読んで、自分の考えを深めた。普段当たり前のことが、実は稀なことであると気付くきっかけとなった。
「幸せって?」というテーマで2回連続の授業を展開した。ⅠではICTを利用し、自分の考えを発信し、友だちの考えから、自分の考えを深めた。Ⅱでは「13歳で母になった少女」というVTRを視聴し、さらに深く「幸せ」について自分の考えを広げた。

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「死って?」のフィードバック
・死ぬということについてまともに考えたことは今日が初めてだと思う。今まで身の回りの人間が死んでしまったことがなかったので、はっきり言って人が死ぬということや、自分が死ぬことなんか考えたことすらなかった。しかし、今日の映像を見て、歌を聴いて少し自分に関係することも考えてみた。もし、祖父母が死んだら・・・、もし父母が死んだら・・・自分はどうすればいいんだろう。もう二度と会話すらできなくなる。
しかし、生物には必ず死ぬ日がやってくる。心の準備はしておこうと思う。だが、死んでしまっていい人なんてこの世に存在しない。だから普通に「死ね」や「消えろ」などと口に出してはならない。
今日、この映像を見て、簡単に口に出していいことと悪いことがあるということを改めて分かった。

・死とは遠くにあるようなものだと思っていた。考えてみたらかなり身近にあるものだと思うようになった。それは「象の背中」見て思ったことだ。自分が死ぬとしたら悲しむ人はいるか?誰かが死んでしまったら自分は何をしてあげられるか?等。自分にとって大切な人がいる時は、生きている1分1秒をその人に使ってあげたいと思った。自分もいつ死ぬか分からないので、反対に「生きる」ということを考えてしまった。歌詞で一番印象に残ったのは「もしも僕がいなくなったら、最初の夜だけ泣いてくれ。」というフレーズだ。グッときて感情的になった。今回の授業はいろいろなことを考えさせられた。

・自分は今泣いてしまった。今回「死」について学び、映像を見た。「死」は生きていれば直面するときはある。自分が死を宣告されたら・・・、辛い、苦しい気持ちになる。さらに大切な家族もいるのに、なぜ自分だけ・・・、なんて思ってしまう。また家族も同じ気持ちになる。悲しくなる。今回の映像を見ていたら、その気持ちが伝わってきて涙が出てしまった。

「生きるって?」のフィードバック
・私はこの「生きる」という詩を読んだことがあります。よくは覚えていないけど、確か国語の教科書で読んだと思ます。その時は単に、ただの詩だと思っていました。しかし、今回は「死について」考えた後に読んだので、以前は感じなかったことを感じることができました。生きるということは一瞬一瞬の積み重ねであるよいうこと。毎日を健康に楽しく生きていくと言うことは奇跡に近い出来事だということ。またそれはいつ崩れてしまうか分からないということです。だから「日常」というものはすごいことなんだなと思いました。私は日常が普通に過ぎていくという幸せをかみしめながら生きていこうと思います。

・「生きる」のではなく「生かされている」のだと僕は思う。僕は生まれてからずっと「生かされている」自分が赤ん坊だったときは一人じゃ何もできなかった。でも一年一年歳を重ねて大人になってくると自分一人でできるようになってくる。それでも自分一人でできることには限りがあるのだから、みんなで協力しあっている。今の自分はお金も稼げない、ご飯、洗濯だって親にしてもらっている。もし、親がいなかったら僕は生まれてこなかった。今こうして考えると、身の回りのすべてが生きているという証なのだと思った。

「幸せって?」のフィードバック
・好きの反対は無関心。
この考えにとても共感できた。私はずっと好きの反対は嫌いだと思っていた。でも嫌いなことは知りたくもないし、見たくもない。すなわち無関心だ。何事にも無関心でいたらどうなるだろう?「嫌い」ではなくて「無関心」すべてをどうでもいいこととしてとらえていったらどうなるだろう?たぶんすべてがとてもつまらないことになると思う。最初人間は何も知らずに生まれてくる。色に例えると白だ。でもそのうち好きなものができて様々な色に染まっていく。でも無関心なまま生き続けたら、そのうち白だということにも関心がなくなってしまい、やがて色がなくなってしまう。

・幸せが何だか良くわからなくなった。
〇〇に行きたい。遊びたい。寝たい。楽したいとかいろいろあるけど、それがもし、毎日のように今の自分が考える幸せということができてしまったら、それは普通になってしまう。そういう毎日が決して悪いというわけではないが、そうなったら自分の価値観が絶対に変わってしまう。その時思った幸せをすべて実行できるとしたら最終的にはつまらない人生になってしまうのではないかと思った。やっぱり、つまらない一生より、どんなに自分が受ける不幸が大きくても、そのあとにくる普通がものすごく幸せに感じることができるということだ。不幸を受け止めて、立ち向かい、幸せをつかむ。そういう人生を送りたい。

「幸せって?Ⅱ」のフィードバック
・前回の授業で自分が今幸せか?というアンケートに自分はあまり幸せではないと答えた。だが、今回ナディアを見て、自分は自由でもなく幸せでもないという考えが一変した。自分とほぼ同じ年齢で妊娠出産し育児に困っているナディアに比べて、毎日三食しっかり食べ、学校に行き教育を受けている自分がどれほど裕福で幸せかを思い知らされた。

・「お金」。
私は「ナディア」を視聴して「お金」の大切さを知った。「お金」がないと太食べ物も薬も買えない。今自分は「お金」を持っている。自分で稼いでもいない「お金」を当たり前のように使って生きている。しかし、ナディアは「お金」を持っていない。この差はなんだろう?違う環境で生まれただけで自分は裕福にでき、彼女は困っている。少しの違いでもいつかは大きな違いになる。世界は不平等だと思った。

・ナディアを見て、私はかわいそうな子と思ったりもしたけど、幸せそうな気もした。
ナディアにとって子供はかけがえのない存在だと思う。8歳で親に捨てられたナディアにとって、唯一の家族だからだ。生む前に赤ちゃんがお腹を蹴るという行動がうれしくてしかたなかったんだと思う。生まれたとき赤ちゃんを見て不安な気持ちもあっただろうが、喜びもあったと思う。ナディアは「この子のためなら何でもする」と言って笑顔で幸せそうだった。